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梅の大辞典

梅林

梅の大辞典

みなべ町の梅林スポット

「一目百万、香り十里」と謳われるみなべ町自慢の梅林を観にきませんか?


①南部梅林

和歌山県日高郡みなべ町晩稲に位置する南部梅林は、約8万本の梅が栽培されていて日本最大級の広さを誇ります。

住所和歌山県日高郡みなべ町晩稲地内
電話番号0739-74-8787(開園期間中のみ:0739-74-3464)
営業時間8:00~17:00
料金大人(中学生以上)300円、小人(小学生)100円
駐車場あり 500円
備考

②千里梅林

非公開のため、敷地内に入ることはできませんが、千里の浜を見おろす立地のため、白い梅の花と青い海が一目に楽しめます。

住所和歌山県日高郡みなべ町山内
電話番号0739-72-4949(みなべ観光協会)
営業時間
料金
駐車場なし
備考

③紀州石神田辺梅林

会津川の上流近くにある「天空の梅林」。 標高400mの「大蛇峰展望台」から観られる山の斜面いっぱいに広がる梅林は絶景で「一目30万本」と謳われています。

住所和歌山県田辺市上芳養5057-2
電話番号0739-26-9931(田辺市観光振興課内)
営業時間9:00~17:00
料金無料
駐車場無料臨時駐車場 約50台、休憩所駐車場 約30台(無料)
備考

④岩代大梅林

梅林の老木化により、たくさんの梅の花を楽しんでいただくことができなくなったため、2018年から休園しています。
2020年は、1日限りのイベントを開催しました。

住所和歌山県日高郡みなべ町西岩代
電話番号
営業時間休園中
料金
駐車場あり
備考
      

⑤奥みなべ梅林 受領の里

みなべ町と田辺市の間に位置する受領(じゅりょう)地区で、地域の梅農家さんたちが自主的に始めた始めた梅林です。

住所和歌山県日高郡みなべ町東本庄1708
電話番号
営業時間10:00~16:00(売店営業時間)
料金無料
駐車場あり(無料・駐車台数は少ないのでゆずりあってご利用下さい)
備考ランチ予約電話:090-9092-5937

全国梅林スポット

「梅」は寒気の中、百花に先駆けて花咲き、一番に「春」を知らせてくれます。
山々が梅の花で薄化粧した様にほんのり白く染まる、そんな穏やかでやさしい風景が、あなたの近くにもきっとあるはずです。
各地の梅林スポットをご紹介します。

①北海道 平岡公園
②石川県 兼六園
③大阪府 金熊寺梅林
④愛媛県 南楽園
⑤福岡県 太宰府天満宮

梅干しとの食べ合わせ

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うなぎ×梅干し

食べ合わせが悪い例として代表的なものです。
うなぎの脂と梅干しの酸がお互いに刺激し合い、消化不良を起こすためと言われています。しかし、実際にはうなぎの油分の消化を梅干のクエン酸で助けるので好ましいと言えます。

なぜ、こう言われるようになったのでしょう?
諸説ありますが、よく言われているものは、贅沢を戒めるための言い伝えではないかと言われています。
梅干は胃酸を分泌を促し、食欲を増進させるので、高価なうなぎをたくさん食べることになってしまいます。
また、うなぎを食べ過ぎることでのビタミンAの過剰摂取を防ぐため、という説もあります。ビタミンAを過剰摂取によるめまいや嘔吐の症状が出るのを避けるためではないかと言われています。


梅干し×ヨーグルト

珍しい組み合わせかもしれませんが、梅干しとヨーグルトもとても良い食べ合わせです。ヨーグルトにはカルシウムが豊富に含まれていて、梅干しに含まれるクエン酸には、カルシウムの吸収を助ける効果があります。 また、梅干しに含まれるクエン酸には、悪玉菌を抑制する効果があり、一方、ヨーグルトはビフィズス菌のような善玉菌があります。一緒に食べることで、悪玉菌の働きを抑えて善玉菌による体の免疫力を高めてくれる効果が期待できます。 食べ合わせがいいのは分かったけれど、果たして美味しいのか?と、心配になったと方いらっしゃいましたら、はちみつやジャムと食べてみてはいかがですか? 梅干しもペースト状にして、はちみつやジャムと一緒にヨーグルトの上にかけてみてください。 梅の風味と甘酸っぱさが広がって、また違った味わいを楽しんでもらえると思います。


梅干し×いわし

いわしにはカルシウムなどいろいろなミネラルが豊富に含まれています。カルシウムの吸収を助けてくれるクエン酸を含んでいる梅干しは、いわしとの組み合わせも相性抜群です。 煮付けなどで一緒に調理すると、梅干しがいわしの生臭さをとってくれるため料理をする上でも良い組み合わせの食材たちです。


梅干しとタコ

この組み合わせも、食べ合わせが悪いと言われていますが、科学的な根拠はありません。梅干しは消化を助ける作用があり、タコにはタウリンや亜鉛といった栄養素が多く含まれます。


梅干しとすいか

食べ合わせが悪いと言われていますが、梅の強い酸性を、すいかのもつ多くの水分で薄めることで、胃を傷めにくくする効果があり、悪い食べ合わせとは言えません。


梅干しと納豆

この食べ合わせも悪いと言われていますが、実はダイエット効果の期待できるとてもいい食べ合わせです。

梅を塩漬けした時に出る梅酢には、梅酢ポリフェノールという物質が含まれています。腸内環境を整えたり、脂肪燃焼のためのクエン酸サイクルを加速する効果があると言われています。また、バニリンには脂肪細胞を減少させる働きがあります。
一方、納豆にも代謝を良くするビタミンB2や、脂肪を燃やしてくれるアディネポネクチンという物質が含まれています。そんなふたつの食べ合わせは、ダイエットに最適なだけではなく、健康のために摂りたい組み合わせです。

梅の歴史

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弥生時代

梅の木の原産は中国です。
中国最古の薬物学書『神農本草経』には、「梅」がすでに記載されています。


飛鳥時代

日本へは最初、漢方薬として伝来します。
これは『烏梅(ウバイ)』と言い、梅の実を籠に入れ燻製したもので、見た目が鳥(からす)のように真っ黒であることから、この名がつけられたと言われています。


奈良時代

柿・桃・梨・あんずなどと同様に生菓子(今で言う果物)として食されていました。
また、美しい梅の花は人々に大変愛されました。
公家たちが庭に植えさせ、庭木として観賞するようになります。
だからでしょうか?「万葉集」には、梅を詠んだ歌が多く記されています。


平安時代

梅干しの原型ともいえる梅の塩漬けが「梅干し」として初めて書物に現れるのは平安時代中期です。
体験的に効用が知れるに従い、長期保存ができる塩漬法が考え出され、保存食、食薬品として用いられるようになりました。そして、村上天皇(在位946~967年)が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復されたという記録もあり、これが元旦に飲む縁起物とし、て今に受け継がれている「大福茶」の起源とされています。この年が申年であったことから、以来、申年の梅干しは特別なものとして珍重されるようになりました。


戦国時代

梅干しは軽くてかさばらず、栄養を補給できかつ日持ちもよい為、戦場での兵糧食として広く普及することとなりました
。 戦場で倒れたときや元気を失ったときなどに唾液を催させる「息合の薬(いきあいぐすり)」としても使用されました。戦国時代の武士は、食糧袋に梅干丸(うめぼしがん)を常に携帯していたそうです。
また、梅干しのスッパさを思い、口にたまるツバで喉の渇きを癒したと言われています。


江戸時代

品種が著しく増えたのは江戸時代に入ってから。
この頃から、珍重されていた梅干が庶民の食べ物として広まり、一般家庭の食卓にものぼるようになりました。
幕府が梅を植えることを奨励し、江戸中期には、梅干し売りが声をあげながら町を歩く姿は、冬の始まりを告げる風物詩となりました。


明治時代~昭和時代

1800年頃、全国的にコレラが流行しました。このときに梅が大活躍することとなります。
コレラ菌が有機酸に弱い菌であることは知られていませんでした。
しかし、体験から梅干には強い殺菌力あることが知っていた当時の人々に知恵により、治療に役立てられていました。
この他にも赤痢の予防・治療に梅干しが用いられ、その後、日清・日露戦争でも重要な軍糧として活用されました。
増加する梅の需要に合わせ、全国各地に広がっていった梅林ですが、第二次世界大戦中はサツマイモ栽培が奨励され、梅の生産量は激減します。
戦後、日本の復興発展とともに梅の効用が再評価されると、梅の栽培も再び盛んになり、梅を使ったさまざまな食品も登場するようになりました。

梅の四季

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1、開花  1月下旬~2月

和歌山県みなべ町に、ひと足はやい春が訪れます。
初春の山々に、甘酸っぱいほのかな香りを漂わせながら咲く白い花。
穏やかな風景ですが、癒されてばかりではいられません。
なぜなら、梅農家にとっては、年の収穫量が決定する大切な時期であり、忙しい梅の一年の始まりだからです。

梅が結実するには、違う品種の花粉をもらわなければいけません。
ですので、実梅の周りには同じ時期に花が咲き、花粉が多くて相性のよい受粉樹を植えています。
受粉を確実にさせるため、人の手による人工受粉の他に、梅林にミツバチを放ち受粉を手伝ってもらいます。
ミツバチが飛んでくれる条件は難しく、天候・気温・風などに大きく左右されます。
つまり開花時期の自然環境が、その年の受粉の割合を決定するのです。


2、成長 3月~5月

花の散った梅の木には、たくさんのちいさな実を結びます。徐々に暖かくなる日の光を浴びながら、梅の実は少しずつ大きく成長していきます。
この頃、収穫に備えて準備が始まります。
作業をスムーズにするための梅畑の下草刈りや、果肉の多い大きな実が育つように、肥料が撒かれます。
雨の恵みのおかげで、梅の実はひと雨ごとに大きくなり、たくさん実がついた枝は、その重さで垂れ下がるようになります。


3、青梅の収穫 6月上旬

南高梅に日差しが当たり、ほんのり紅がさした頃、待ちに待った収穫の時がやって来ます。
まずは梅酒用の青梅です。

梅酒用には、まだ梅の実が若く青い時に収穫します。
傷をつけない様、一粒ずつだいじに手もぎしていきます。
こうして梅酒用に収穫される梅の実は、ごくわずかで残りの梅の実たちは、『果肉たっぷりで皮が薄い』という南高梅の特徴を発揮するべく完全に熟すまで樹上で過ごします。


4、収穫・塩漬け 6月~7月

6月中旬~7月上旬、梅干用の完熟梅の収穫が始まります。
梅干用には、樹上で完全に熟し自然落下した実をひろい集めます。
木の下には青いネットを敷き詰め、梅の実が傷ついたり汚れないように、そして作業がしやすいように工夫しています。
収穫された後は、水洗い・ 選別の行程を経て、 その日のうちに天然塩で、塩漬けされます。
塩と梅を交互に入れていき、 最後に上から重石をします。
約ひと月くらいで塩が梅に浸透し、梅酢が出てきてタンクを満たします。毎日見守りながら微調整を行っていきます。


5、天日干し 8月~10月

梅雨明けとともに土用干しが始まります。
土用干しとは、梅酢の中で熟成された梅を取り出し、天日干しする作業のことです。
タンクから出した梅干しを水洗いした後、一粒ずつ重ならないようせいろに並べ 、3~5日程度真夏の太陽の下で天日に干します。
まんべんなくお日様に当てるため 梅をひっくり返し、また、雨に打たれない様、天気予報と睨めっこしながらの大変な作業です。
町のいたる所で、甘酸っぱい香りに包まれながら行われる土用干しはみなべ町の夏の風物詩となっています。
干し上がった梅たちは、一粒ずつ手作業で樽に入れ、倉庫で熟成させます。寝かせた方が塩がよく馴染み、とっても美味しくなるのです。


6、土づくり・剪定 11月~1月

梅干し作りが終わり、ほっとしたのも束の間、冬が訪れる前にやっておかなければいけない作業があります。
木の剪定作業です。
梅は前の年に伸びた枝に開花するので、新しい枝を伸ばしてもらうための剪定は、来年の収穫量を左右するとても大事な仕事なのです。
そして隅々の枝に、日が当たる様に 全体のバランスを整えます。

梅の木が必要とする養分を、十分に供給できるような土作りも大切な作業。
この時、剪定作業で切り落とした枝をチッパーにかけ粉砕した有機肥料なども畑に撒いています。
梅の木々も葉を落とし、冬支度です。
開花はもうすぐ。束の間の休眠です。

梅の花ことば

梅の大辞典 梅の花は春の訪れを知らせくれる花木です。
気品ある美しさと芳香のある花を咲かせるだけでなく、梅の実は一般的にも食されていることから日本では身近な花ではないでしょうか?
そんな梅の花の花言葉ご紹介していきます。


梅の花全般の花言葉は、「高潔」「忍耐」「忠実」です。

「忍耐」の花言葉の由来は、梅の花の開花時期が1月下旬の寒さの厳しい頃のため、冷たい風が吹いているなかで咲きほこる梅の姿にちなんでつけられた花言葉です。

また、「忠実」の花言葉は、こんなエピソードがあります。
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
これは、平安時代の貴族・菅原道真が太宰府天満宮に左遷された時に詠んだ和歌です。
春風が吹いたら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ、私がいなくても春を忘れないでくれ。という意味で、道真の太宰府に左遷される無念の気持ちを表した歌なのですが、この後道真が愛でていた庭の梅が、道真を追いかけて一夜のうちに京都から太宰府まで飛んできたといういわゆる飛梅伝説から、忠実という花言葉が生まれました。


西洋の花言葉(英語)

「Keep your promise(約束を守る)」
「fidelity(忠実)」
「beauty and longevity(美と長寿)」


ウメの誕生花

1月3日、1月11日(白)2月1日、2月7日、10月24日
梅は、紅・白と花の色によって異なる花言葉があります。


紅梅の花言葉

赤色の梅(紅梅)の花言葉は、「優美」です。
紅花の艶やかな女性のような色香、上品な美しい姿からつけられました。
随筆・枕草子には「木の花はこきもうすきも紅梅」という句が残され、平安時代の女流作家・清少納言に愛されたとされています。


白梅の花言葉

白色の花をつける「白梅」の花言葉は、「気品」です。
白梅の清楚な雰囲気や、その凛とした姿からつけられたとされています。

梅の唄

梅の大辞典 「令和」という元号が万葉集の第5巻「梅花の歌」の序文からの出典でしたので、由来に関する短歌を目にされる機会も増えているかもしれません。
ここでは梅に関する短歌をご紹介します。


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へん

意味:天皇の命令であれば畏れ多く、もちろん梅の木は献上いたします。しかし、毎年梅の木に来ていたウグイスに「私の宿はどこですか?」と聞かれたら、私は何と答えればいいのでしょう?
平安時代、村上天皇の頃、平安京の清涼殿にあった梅の木が枯れてしまいました。
若い者では、木の良し悪しがわからないだろうからと考えて、夏山茂樹という人にすぐに替わりの木を探すように命じます。あちこちと散々探し回り、ようやく西の京に色濃く咲いて大変美しい枝ぶりの素晴らしい木を見つけることができました。家の主人に事情を話し、さっそく梅の木は掘り返されて清涼殿へ運ばれました。家主がこれを結んで欲しいと枝に短冊を結びつけ、何かわけがあるのだろうと結んだまま持ち帰りました。
清涼殿に移植された梅の木は大変立派なもので、村上天皇も大変喜ばれましたが、ふと見るとそこに短冊が結ばれています。
天皇が結びに気付き、開いて見ると、そこには女性の筆跡で唄が記されていました。


勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へん

見事な唄にただならぬものを感じ、すぐにどこの者の家かと確認させると、「紀貫之の娘」の家だということ、その梅は、父の形見だったことが分かりました。
天皇は、恥ずかしく思い、梅に鴬宿梅と名づけて返し、娘に紅梅内侍の名を賜ったと言われています。


東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ

意味:春になって東風が吹いたら、香りだけでも私のもとへ届けておくれ、梅の花よ。主人がいないからと言って、春を忘れてはならないよ。
昌泰4 年、時の右大臣であった菅原道真は、左大臣である藤原時平の策略により、太宰府へと左遷されることとなりました。いよいよ住みなれた都を去る日、幼い頃より親しんできた自宅の梅の木に、


東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ

と詠いかけました。これからは直接見ることができない梅の木を想って、悲しい気持ちで詠んだのでしょう。「春に東から吹く風」のことを「東風」といいますが、太宰府に向かう道真にとって「東風」は京都からの香りを届けてくれる風だったのでしょう。

主人(あるじ)を慕った梅は道真を追いかけ、一夜のうちに道真の元へ飛んで来たといわれています。これが有名な飛梅伝説です。
実はこの話には続きがあって、とても素敵な話だったのでご紹介します。

道真には白太夫(本名:渡会春彦)という老家臣がおりました。道真は都を去る前に、秘蔵の梅と松を鉢に植え替え、これを自分の形見と思うように、と白太夫に托していました。
左遷から一年後、都に道真の噂も聞かれなくなった頃、道真に托された松が枯れてしまいます。見れば、梅も枯れかかっていて、道真公の身に凶事でもあったのではないか?と白太夫は心配になりました。流人である道真に会うことは禁じられていて、見つかると自らも罪に問われてしまいます。しかし、枯れかかる梅に居ても立っても居られない白太夫は、梅の鉢を携え道真のもとへ急いで向かいました。

何とか太宰府に着いた白大夫でしたが、道真が謹慎する太宰府榎寺は、厳しく監視されています。農夫を装って境内に入り込んだ白太夫は、庭先から声をかけました。
「申し上げます。この梅が公を慕ってまいりました。」
覚えのある声、そして都の梅・・・。主従の関係を超えたまごころの贈りものとなった一鉢の梅は、不遇の道真をどれほど感激させたかは想像に難くないでしょう。

流人に会いにきたという事実が知れると罪に問われる白太夫の身を案じ、道真は周りの者に「都の梅が一夜のうちに飛んできた」と告げました。これが「飛梅伝説」の由来となりました。
翌年、梅は見事に花開いて都の香りを漂わせ、道真を喜ばせました。そしてこれが道真の見た最後の梅となります。この年の2月25日、道真は病に倒れ、享年59歳の生涯を閉じました。

最後に主人に会って喜んでもらいたいという梅の想いが白大夫に伝わったのでしょうか?

梅の7つの効能

梅の大辞典 『梅はその日の難逃れ』と言われるほどともに歩んできた人たちが、経験的にその効能を知り、昔から活用してきた梅。
科学的研究が進み、現在ではその効用や機能性が明らかになってきています。
あくまで食品であり薬ではないので、病気が治る訳ではありませんが、予防の一環として、利用してみてはいかがでしょうか?


1、抗菌・抗ウイルス作用

細菌から守ってくれる『制菌・抗菌作用』は古くから知られていました。
夏場のお弁当は痛みやすいから梅干しを入れる、なんて習慣はこの知識を活かしたものです。
このような梅の抗菌作用は、クエン酸の働きによるものだと言われていますが、最近では梅酢の中にあるポリフェノールにも、インフルエンザウイルス等に強い増殖抑制作用や消毒作用があり、安全性も高いものであることが研究で分かってきました。
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2、疲労回復

梅にはたくさんのクエン酸が含まれており、疲労回復に効果があると言われています。
クエン酸は、疲労の原因「乳酸」を身体の外に出してくれます。
クエン酸以外に、梅ポリフェノールにも抗疲労物質があることがわかってきており、両方を併せ持つ梅は疲労回復にピッタリ。
また、マウスが暑熱環境による疲労からの回復が早かった、という実験結果も確認されており、夏バテのような暑さによる疲労に対しても梅が有効であることがわかっています。
はたの農園からのおすすめ品→夏バテを吹っ飛ばす、梅干しで作る自家製ドリンク(レシピリンク)


3、胃腸を整える

酸っぱい梅干しを口に入れると、じゅわーっと唾液が出てきます。
梅には唾液の分泌を促し食欲を増進させる働きがあります。

また、梅には植物性乳酸菌が含まれていて、腸内環境を整え、便秘予防、肥満や糖尿病予防、免疫力アップ、抗アレルギー効果など様々な効果が期待されています。
1でご紹介した制菌作用による、ヘリコバクターピロリ菌や、病原性大腸菌(O-157)、黄色ブドウ球菌(MRSA)の増殖や活動を抑制することも、胃腸の健康を保つのに一役買っているかもしれません。


4、血圧の上昇を抑える

しょっぱい梅干しは血圧をあげると思われがちですが、実はそうでもありません。
梅干しには、アンジオテンシンⅡという血圧を上げるホルモンの働きをおよそ90%抑制することがわかっています。
梅干しに含まれるカリウムも、血圧の上昇を抑え、動脈硬化や高血圧を予防するはたらきがあります。


5、骨を丈夫にする

骨の材料であるカルシウムは水に溶けにくく吸収率の低い栄養素ですが、梅に含まれるクエン酸には、カルシウムの吸収を促進する効果があります。
現代人は慢性的なカルシウム不足だと言われていますが、今のうちから梅干を食べる食生活を習慣化すれば、カルシウム不足が原因で起こる骨粗しょう症の予防に期待できます。


6、血をサラサラにする

本来、人間の身体は弱アルカリ性が健康な状態です。
ですが、身近に酸性食品が溢れている昨今では、気を付けていても人間の体は常に酸性に偏りがち。
体が酸性に傾くと血液がドロドロになり様々な慢性疾患にかかりやすくなります。
クエン酸たっぷりなので勘違いされやすいですが、梅干しはアルカリ性食品です。
梅は酸性に偏った身体を中和し、血液やリンパの流れが改善、免疫力がアップするそうです。


7、抗酸化作用がある

シミ、シワ、癌、生活習慣病…
耳を塞ぎたくなる言葉です。
これらを引き起こす原因は活性酸素と言われていて、活性酸素はストレスやタバコ、飲酒などのほかに、年齢とともに増えるとも言われています。
抗酸化作用というのは老化や病気の原因にもなる活性酸素を取り除いてくれる効果です。
梅干しに含まれるポリフェノールの一種、梅リグナンやリオニレシノール、また、カテキン酸は抗酸化作用があると言われています。

梅ことば

梅の大辞典

梅ことば

塩梅(あんばい)

料理の味加減のことです。 食酢がまだなかった頃、梅酢を調味料として使っていました。塩と梅酢の味加減が丁度良いことを意味しました。
「按排」(あんばい)という言葉が持っている、そつなくこなしたり具合よく並べるという意味が、塩梅の持つ意味にそっくりのため、同じような使い方をされるようになりました。


梅はその日の難のがれ

昔、旅人が熱病や風土病から身を守るため、梅干しを薬として携帯しており、朝に梅干しを食べると、その日は災いをまぬがれて気持よく過ごせると言われていました。
旅館などで、朝食に梅干が出されるのは、この説に由来しています。


梅に鶯(うぐいす)

取り合わせが良い2つのものや、美しく調和し絵になるものという意味です。
また、仲が良い関係に使う言葉です。


梅は食うとも核(さね)くうな中に天神寝てござる

「核」は、生梅の種のことで、毒があるから食べてはいけないという戒めの言葉です。(梅が完熟するとこの毒性は解消します。)
梅の種の中にある核(かく)のことを天神様といいます。
これは学問の神様として知られている菅原道真(俗に天神様といわれる)が、梅を大事にしたという故事からきています。
生梅の種をたくさん食べると危ないですが、梅干しにした梅の核は毒性も消えており、好きで味わう方もいます。


梅干しは三毒を断つ

三毒とは「水毒」「食毒」「血毒」のことを意味していて、

「水毒」は体内の水分の汚れのこと、
「食毒」は暴飲暴食や不規則な食事など、食生活から体内のバランスが乱れた状態、
「血毒」は血液の汚れのことです。
梅を食べることで、毒を消し、体の様々な機能を改善することが、健康を保つことにつながります。


梅は百花の魁(うめはひゃっかのさきがけ)

梅はその年のどの花よりも先頭を切って咲く花であるという意味。
また、優れた人物などが輩出する時、先陣をなすもののたとえをいう。


桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿

余計なことをすると駄目、必要なことをしないのも駄目という意味です。
桜は次の年も古枝に花が咲くので枝を残し、梅は剪定をしないとむだな枝がついてしまうので切ったほうがよいとされることからこう言われています。


梅一輪一輪ずつの暖かさ

服部嵐雪が詠んだ俳句です。
梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、だんだん少しずつ暖かくなり春めいてくるという意味。


梅干と友達は古いほど良い

梅干は古いものほど味がいいとされるのと同様に、友人も古いつきあいの人ほど気心がしれ、頼りになるという意味です。

梅、梅干しの品種

梅の大辞典

2、品種

学名 Prunus mume
英語 Japanese apricot

梅の品種は、300種以上あると言われています。
よく花梅と実梅に区別されていますが、あくまで利用上の分け方であり、厳密なものではないようです。

梅はバラ科、サクラ亜科、スモモ亜属に属します。
梅と杏は近縁種で、開花時期の重なる地域では自然交配することもあります。

紀南地方で育てられている南高梅も、『杏性梅』という杏の血を引いた品種と言われています。
だからなのか、梅が完熟する頃の梅畑に行くと、甘酸っぱい杏に似たとてもいい香りを楽しむことができます。
また、完熟した梅を食べてみると、スモモのような美味しさです。


紀南地方の主な梅の品種

古城梅(ごじろうめ) みなべ町の生産量の1割程

大正時代後期、田辺市長野の那須政右ヱ門氏が、西牟婁郡旧上芳養村方面から譲り受けた苗木を接ぎ木した中から生まれました。
那須氏の屋号をとって「古城梅」と名付けられましたが、果実が極めて美しく大きな緑色の楕円形になるため「青玉梅(せいぎょくうめ)」とも呼ばれています。

果実の大きさは25g~30gぐらいで、木の勢いが強く、病気にもなりにくく、集約(しゅうやく)管理をすればたくさん実がなる品種で、収穫期の早いのが特徴です。

実が崩れにくくエキスがよく出るため、梅酒、梅シロップに適しています。


南高梅(なんこううめ) みなべ町の生産量の7割程

明治35年、上南部村の高田貞楠氏が、譲り受けた梅の苗の中から粒が大きく、美しい紅のかかる優良種が一本あるのに発見しました。
これを母樹として大切に育て、高田梅の基礎をつくりました。
その後、南部高等学校教諭 竹中勝太郎氏が5年間にも及ぶ調査研究の結果、最も優れた品種を「南部(みなべ)高校」と「高田梅(たかだうめ)」の名をとり、「南高梅(なんこううめ)」と名付け発表しました。

果実の大きさは25g~30gぐらいで、木の勢いが強く、たくさん実がなります。皮が柔らかく、果肉が厚いのが特徴です。
また果実の色は緑色ですが、完熟に近づくにつれて黄色みを増し、日光の当たる所は、鮮やかな紅色に変わります。
梅酒、梅シロップ、梅ジャムと、さまざまな用途に使われます。

酒・梅ジュース用には青梅として、また、皮が薄くて柔らかく果肉が厚い完熟梅は、梅干用としてとても適しており、紀州産の梅干しはほとんどがこの南高梅から製造されています。


小粒南高(こつぶなんこう) みなべ町の生産量の2割程

果実の大きさは、16g~25gぐらいです。
品質は南高梅と同じですが、自家結実性の高くない南高梅の受粉樹として多く植えられています。