梅の大辞典
梅の歴史
弥生時代
梅の木の原産は中国です。中国最古の薬物学書『神農本草経』には、「梅」がすでに記載されています。
飛鳥時代
日本へは最初、漢方薬として伝来します。これは『烏梅(ウバイ)』と言い、梅の実を籠に入れ燻製したもので、見た目が鳥(からす)のように真っ黒であることから、この名がつけられたと言われています。
奈良時代
柿・桃・梨・あんずなどと同様に生菓子(今で言う果物)として食されていました。また、美しい梅の花は人々に大変愛されました。
公家たちが庭に植えさせ、庭木として観賞するようになります。
だからでしょうか?「万葉集」には、梅を詠んだ歌が多く記されています。
平安時代
梅干しの原型ともいえる梅の塩漬けが「梅干し」として初めて書物に現れるのは平安時代中期です。体験的に効用が知れるに従い、長期保存ができる塩漬法が考え出され、保存食、食薬品として用いられるようになりました。そして、村上天皇(在位946~967年)が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復されたという記録もあり、これが元旦に飲む縁起物とし、て今に受け継がれている「大福茶」の起源とされています。この年が申年であったことから、以来、申年の梅干しは特別なものとして珍重されるようになりました。
戦国時代
梅干しは軽くてかさばらず、栄養を補給できかつ日持ちもよい為、戦場での兵糧食として広く普及することとなりました。 戦場で倒れたときや元気を失ったときなどに唾液を催させる「息合の薬(いきあいぐすり)」としても使用されました。戦国時代の武士は、食糧袋に梅干丸(うめぼしがん)を常に携帯していたそうです。
また、梅干しのスッパさを思い、口にたまるツバで喉の渇きを癒したと言われています。
江戸時代
品種が著しく増えたのは江戸時代に入ってから。この頃から、珍重されていた梅干が庶民の食べ物として広まり、一般家庭の食卓にものぼるようになりました。
幕府が梅を植えることを奨励し、江戸中期には、梅干し売りが声をあげながら町を歩く姿は、冬の始まりを告げる風物詩となりました。
明治時代~昭和時代
1800年頃、全国的にコレラが流行しました。このときに梅が大活躍することとなります。コレラ菌が有機酸に弱い菌であることは知られていませんでした。
しかし、体験から梅干には強い殺菌力あることが知っていた当時の人々に知恵により、治療に役立てられていました。
この他にも赤痢の予防・治療に梅干しが用いられ、その後、日清・日露戦争でも重要な軍糧として活用されました。
増加する梅の需要に合わせ、全国各地に広がっていった梅林ですが、第二次世界大戦中はサツマイモ栽培が奨励され、梅の生産量は激減します。
戦後、日本の復興発展とともに梅の効用が再評価されると、梅の栽培も再び盛んになり、梅を使ったさまざまな食品も登場するようになりました。